人は結果を急ぐ。焦るなといっても焦るのは自然なことだ。
しかし、焦るのと急ぐのは違う。
では、焦るとは何か?
それを、私は成長ステップが見えない状態だと思っている。
自分もそうだし、相談しにくる後輩もそうだったが、例えば社会人2年目にして優秀な5年目でも難しいことができていないからといって焦るというケースがあるものだ。
あれは、自分がどういうステップを踏んでいくべきかが見えていないから、社会人2年目にして5年目水準の仕事ができていないと思うのである。
厳しい現場なので、何年目だろうが高い水準の仕事をこなせと言われるので、ピュアに焦っているつもりなのだが、成長論の観点では、それはあまり謙虚な了見ではないのかもしれない。
AとBという下積みを経ないと、求められるCという高水準の仕事はできないので、まずはAとBをやるべきである。
にもかかわらず、AとBをまずは着手しなければならないということに気づいていないというのは、成長論的には謙虚ではないことになる。
当の本人が自らの成長ステップの全体像を理解できるはずがないから、AとBを経て初めてCができるということを伝えるのが、メンターの役割である。そして、それに基づき、当の本人はAとBをとにかく早くできるようにすることに集中するのが正しいはずである。
焦っている場合ではない。
焦っているいとまがあったら、メンターあるいは、メンターがいなくてもメンター代わりになる人を見つけて、成長ステップの全体像を描き出すべきである。
焦っているなあと感じたとき、そんなことを思った。